三国志の話(魏)
今回は有難い事に、読者の方から『三国志のはなし』をと云う要望を頂いた。
はて、どんな切口で行こうかと、未だに悩み乍、書き進めてみよう。
三国と云うだけに、三国志は三つの国のお話であるが、本当の三国になるのは、
三国志の中盤、名軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が
「天下三分の計」を持って登場して以降からである。
また、三国志には紛らわしい事に、
『三国志』と『三国志演義』と云う似て非なるものがあり、
前者は中国の後漢から三国時代にかけての正式な歴史書で、
魏(ぎ)書・呉(ご)書・蜀(しょく)書から成り、
後者は三国志を元に、虚実を織り込み、人民の判官贔屓感情を取り入れて、
巧みに作られた謂わば大長編通俗小説である。
マニア達は区別する為に、前者を『正史』、後者を『演義』と呼ぶ場合もある。
但し、『正史』は、三国志のみを指す言葉ではなく、他にも使われるので注意したい。
余りにも長大な物語で、こんな短文ではとても語り尽くせない。
要約や名場面紹介は、他の優れた案内書にお任せするとしよう。
ここでは、「天下三分の計」に倣って、
『魏』『呉』『蜀』と「コラム三分の計」で書いて行こう。
先ずは『魏』のお話。
曹操孟徳(そうそう もうとく)が治める強大な国である。
『演義』では悪役にされてしまっている曹操であるが、
文武両道に優れた偉大な人物である。
魏で真っ先に思い浮かべるものは、日本で余りにも有名な『魏志倭人伝』であろう。
魏書の一部分で、
ある意味では、私達は小さい頃から三国志に馴染んでいるのである。
私は昔(高校生の頃)から考えている事があるのだが、
そのきっかけとなったのが、三国志であった。
現在の教育制度がどうなっているのかは詳しくないが、
私の頃は、日本史と世界史と云う風に、歴史を分けて教えられた。
その為、日本の歴史と海外の歴史を結びつけて考える習慣が希薄である。
例えば、日本で卑弥呼が活躍していた頃、
中国では既に魏志倭人伝が著されていたのである。
それを考える時、中国の悠久の歴史を感じる事が出来き、
また、三国志成立は西暦280年頃とされているから、
ヨーロッパではキリストが生まれて280年後、
ローマ帝国時代の話と云う事が出来るのである。
詰め込み式の学校教育に於いては、
残念な事に歴史の面白さを半減させていると言わざるを得ない。
昨今、ゆとり教育の問題が取沙汰されているが、
本来、勉強に「ゆとり」等不要である。
「ゆとり」を押し付けられた学生諸君は、実に可哀想である。
それでもう一つ思い出した。
ゆとり教育で円周率を「3」と教えたそうであるが、甚だ嘆かわしい事である。
アルキメデスは呆れているであろうか?
「3」と「3.14」では、明らかに計算結果に違いが出るであろうに……。
ゆとり教育を終えた世代が我社に入社した時、
「3」で計算されたらどうしようと、今から心配でならない。
三国志の話からゆとり教育へと、大きく逸脱してしまったが、
魏の項はここまでとしよう。