焼き入れのはなし

先述の鍛造の話でも少しふれたが、今回は焼き入れである。

高温に熱した刃を水により急速に冷やす事で硬化させると云った工程である。
また、刀身は焼き戻され、刃に柔軟性を持たせるのである。

日本刀の切れ味もその辺の加減が関わるそうである。
かの銘刀・正宗の切れ味には独特の「ねばり」があるとの事だが、
この「刀の切れ味」というものは刀によって千差万別である。

某藩の次男坊辺りが刀の切れ味に取り付かれ、
夜な夜な辻斬りと化すと云った話は、
この辺の「ねばり」を含む諸々の要因が重なり、
得も言われぬ切れ味に取り憑かれてしまうからなのか?

さて、この「ねばり」だが、他の身近な例を取ってみると「釣針」が挙げられる。
(あまり身近ではないか?)

この「ねばり」が弱いと大物が掛かった時に針を伸ばされてしまう。
また、「ねばり」が強すぎると今度は「硬い」感じになり、少々岩に当たったり、
魚を釣り続けていくと刃(?)こぼれを起こしたり、魚の口を弾いてしまったりと、
掛かりが悪くなることもあるそうだ。

そして、この「ねばり」が生む更なる効果としてスプリングバックというものがある。
魚に針をかける瞬間(アワセ)において竿・糸・ハリスと引かれた力が針に伝わり、
一瞬針が伸ばされる。転瞬、針が元の形状に復元し、
これに糸が引かれる力が加わることで、魚の口を貫通する力が増幅するのである。
これには経験がある。(まぶた、指、お尻等……)

ここで気になるのが「海幸山幸」のお話である。
いかに海幸彦が万能の針を持っていたとして、
山幸彦にさんざ当たりまくるというのは、どうも納得できない。
山幸彦の肩を持ちたくなるのは皆様如何お思いでしょう?
(剣をつぶして沢山の針にしてしまうんですよ!)
話が逸れてしまいました。

弊社の在所より近い場所に
日本の釣針製造業がひしめき合っている地域があります。
先人たちが試行錯誤を繰り返し山里から世界の海まで、
納得のいく製品を送り出しているのは、何とも素晴らしい事だと思います。

対象魚の数だけ針の形があり、その魚の釣法によっても針の形状が変わる。
また、時期や人の好みにおいても太さ、弾力など様々な特徴を持つ針が存在する。
釣技の上手下手やその日のコンディションによっても左右される、
そのような細かな配慮で、様々なラインナップが用意されているのでしょう。
そして、如何に計算、試行錯誤を繰り返し突き詰めた針も、
各々の実釣をもって判断されると云うのもまた素晴らしい。

製造工程、素材に因る所もありますが、その一端を担う焼き入れ。
皆様も思い出された折に、身の回りの物へ目を向けてみては如何でしょう?

と云う事は…。
一つの針であらゆる魚を釣ることができた海幸彦はやはり、釣名人なのか?
(あの針でなくては駄目だとこだわったのにも一理あるのか?)
いや、そう山幸彦に言い張ったのは、
その腕前をアピールしたいだけの釣天狗なのか?

謎は深まる一方です。

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